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mixiも再度やめて南東北のヲタ連中との関わりもなくなったので、今まで言いたくても言えなかった東日本大震災のことについて思ってた本音を綴らせていただこうと思う。



まあ、なんか東日本大震災の後の日本の社会の風潮がすごく嫌でした。人間の弱さや建前ばかりの考えが見え隠れして気持ち悪かった。




非被災者達の語る『絆』。本来、絆とは『断ちがたい人と人との結び付き』を表し、極端な話、この人のためなら死ぬのも惜しくないぐらい、苦難を共に歩んでいくべきものだと思うんですよ。ところが、震災ガレキ受け入れが始まったら反対する連中が表れたり、東北産の野菜などを買い控える連中が表れた。



被災地に行って何もできないのならせめてこれぐらいのことはしてあげてもいいと思うのに。これが『絆』か?と耳を疑うぐらいでした。結局は、みんな自分がかわいいんですよ。『絆』という言葉も途中から『家族との絆』みたいに都合よく変わってきたでしょう?こういうさまを見たら誰だって『薄っぺらい絆』と評して偽善を感じ始めるんですよ。




だから、俺は『絆』という言葉自体は好きだけど、震災後に盛んに叫ばれる『絆』は嫌いです。





かといって、被災者達を全面的に擁護する気にもなれない。被災者達は被災者達で『日本で一番大変で悲しいのは自分達なんだぞ』的な感覚にはいらつきます。地震が起きる前から、苦労している人達はいるのにね。




そもそも、人生なんて苦難があって当たり前。震災もその一つだと思っています。



それに人間、三足の鞋をはいてはいけない、はけたとしてもそれはラッキーと思うべきかいつでも脱ぎ捨てることができるものでなくてはダメだとも思っています。




ここで言う鞋とは、人間生きる上での糧みたいなものを表します。まあ、『仕事』『恋愛や家族』『趣味』などが挙げられますが、個人的にはこの中から糧として選べるものは2つだけ。大抵の人は生きる上では『仕事』は外せないので1つ目の鞋はまずこれになります。



で、残りの1つは『恋愛や家族』『趣味』ですが、これはどちらかを選んだらもう1つは捨てるべきだと思っています。



話を震災絡みのことに戻しますと、被災者達は被災者達で震災に合ったことをいいことにその3つの鞋をはこうとしているように見えたことです。




まあ、自分自身、故郷を失ったことはないし、特に地元愛みたいなものは持っていないからそういう感情についてはわからないけどさ、少なくてもmixiやってた頃の被災地の連中を見てるとあまりかわいそうだという感情はまるで起こらなかった。




まあ、地元を離れることにはなったけど、家族や恋人は無事、新しい仕事もなんとかできる、それでいて東京に出たのを機にライブを見に行ったりして東京ライフを楽しんでいる。これが果たしてかわいそうかと言われると俺は首を傾げる。正直、俺は羨ましかったですよ。


他にもテレビなどで震災を機に結婚したり恋人ができたみたいな話も聞く。確かに地震によって失ったものもあるかもしれないが、こういう結果を考えると地震さまさまなんじゃないだろうかとも思う。人生、リスクもなしにおいしいものを手に入れることなんてできないから。


まあ、あくまでもごく一部の人なんだろうけどね。


というか、結婚しててかつ子供もいる人がヲタ活も普通のヲタ並にやりたい、もしくはやっている人の気持ちも理解できない。いわゆる三足の鞋をはいている人達だ。



せいぜいCDやDVDの購入に留めてライブは基本諦めて家族のためにもっと時間を割いてあげたらと思うのだ。




たまに『子育てもストレスが溜まるから』『子供ができた後にアイドルを好きになったんだから仕方ない』『独身の方が遊べて羨ましいよな』という声も聞く。だったら、即離婚するか最初から結婚するなよ。と思う。



結婚していない自分が言うのも難だが、結婚してしかも子供を作るということは覚悟は必要だとは思う。自由に遊べなくなるのも子供ができれば当然の話。結婚は義務ではない。


というかそれって絶対贅沢な悩みだよ俺は愛する奥さんがいて子供がいる生活には普通に憧れるし、それ以上は何もいらないかなって。
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